2020/06/23 08:55

1999年夏

”お菓子、いっぱい買ってもいいの??”
日本へ出発する前夜、母と二人でTARGETへ最終準備品を買いに来ていた。
”いいよ”と母は握った手を一度ギュッとして、返事をした。
14歳になっても、母は私と手を繋いで買い物をした。
近所のスーパーでも、モールでも、コンビニでも。
今思えば、ちょっと異常だったのかもしれない。
でも、それが母の、我が子を守る、1つの手段だったのかもしれない。
”色がついたお菓子もいっぱい買ってもいい??日本にないんでしょ。舌の色が変わるようなお菓子!”
テンションが上がっていた私はお菓子売り場をるんるんに目をキラキラさせて、どれにしようか眺めていた。
”えー。色がつくのは辞めて。着色料が沢山入っていて、あなたすぐお腹痛くなるでしょ。着色料は毒なのよ。”
母はいつものように返事をした。
ちょっとはがっかりはしたけど、期待はしていなっかったからそこまで私はダメージは受けず、
ぎりぎりセーフで時々買ってくれたロールアップグミ(長いグミがぐるぐる巻きあげてあって、スマ―フやトロールやガ―フィールド、
バービーなどが印刷カットされてあったりしてシールみたいに剥がして食べるグミ。)何がセーフだったのか不明だが、母はこれなら買ってくれた。
TWIXやMILKYWAYという大好きなチョコレートのお菓子や、ビーフジャーキー(この頃はまだ日本に持ち込めれたが、狂牛病など色々あり、その後は持ち込みが出来なくなってしまった時期があった。今はどうなんだろうか?)
地元のオレゴン州には有名なビーフジャーキーを作る場所があるので親は良く日本の親戚に配るようにと沢山持たせた。
そう、私は9歳の夏休みに一人で日本に行った。
空港で親が私を担当してくれるキャビンアテンダントに引き渡し、機内のお世話から到着してからの手続き、日本での保護者に手渡すまで面倒を見てくれるのだ。
去年の夏休みは父と友人、3人で日本へ行ったが、今年は一人で行く事になった。
二回目の外国への一人旅。
この頃の私はまだ、飛行機が怖くなかった。
機内でどんなお菓子やジュースを飲んで、どんな本を読んで、なんの映画を見て過ごそうか。
わくわく、ドキドキが止まらなかった。

明日、私はいよいよ大好きな日本へ出発。
2ヵ月間アメリカの家族とは離れ離れ。
毎年のような事。寂しいけど、帰ったらまた会えるし、いつもと同じ。
何も変わらない。
私たち家族は、何も変わらない。

でも、もう
この時点で私の家族は、
崩壊へのカウントダウンが始まっていたの。

お菓子を選んでいる時でさえ、
母は私の手を離さなかった。
いつもよりも、強く握ったままだった。