2020/06/26 09:18


近年では良く耳にする言葉がいくつかある。
(胎内記憶)(生まれる前の記憶)等。
子は親を選び、生まれてくる。等。
私には親を選んだ記憶も、母親の胎内での記憶も、生まれてくる瞬間の記憶もない。
しかし生まれた家の事はとても良く覚えている。
薄緑のペンキで塗られた小さな家。父がデザインをし、製作した小さな庭と池。
チープのプラスティック遊具や、夏のプール。
ダイニングの赤と黒の、現在でいう(レトロ)な柄の背もたれが細く、高めなイスたち。
レコードを聴く機械。キッチンは一部しか記憶にない。それはバックドア(勝手口)を挟むシンクと、
地下室へ行く階段の扉だった。
地下室は何故か今も鮮明に覚えている。階段は真っ赤なカーペットが貼り付けられていて、
降りて行くと左側が物置場になっていて、私のしましまもようの古い乳母車が畳んであった。
部屋もあり、部屋の中のクロ―セットのようなところには広い棚が天井まであった。
コンクリートがむき出しが殆どだった地下室はいつも寒かった。
生まれてきた家には後一か所良く覚えている場所があった。
私が眠っていた寝室だった。狭い部屋には大きすぎるベッド。カラフルな水玉の薄いカーテン。
私を包んだ青色のブランケット。窓から差し込む朝日や夕日。何度も窓に手を伸ばした。
母は私の横に横になり、子守唄を歌ったり、胸やお腹や背中をトントンしてくれた。
そして母は良く泣いた。
ただ涙が流れてボーっと泣く日が多かった。
でも、時々、苦しそうな顔をして声を押し殺して泣いた。
私は母の顔に手を伸ばすがなかなか触れれない、手が思うように動かせない。
キッチンがレコードが流れる。日本語の歌。
大人になって知ったその曲の名前は、(フランシールの場合は)。

こんなことを親に何度か話したが、母はただ目をまん丸にして私を不思議そうに、もはや少し怯えながら見た。
父は信じてくれず、というか、家には殆ど不在だった父はあまり記憶にないのだろう。無理もない。

この家は、私が2歳になる前には引越していたからだ。

大人になった今も、私は人物を記憶するのがとても難しい。
燃えるような恋をした相手でさえ、時がたてば顔も、名前も思い出せなくなる。
脳は、とても都合が良い。
一時は病むほど、自分は病気なんだと思うほど人を覚えていられない自分が怖かった。
でも、気づいた事があり、それはその人の顔や名前ではなく、
その人の飾りや匂い、一緒に過ごした時間や空間で私は記憶出来ていた。
だから、大人になってからの私は時々大恥はかくが、
この都合の良い脳が楽で、むしろ楽しんでいる。