2020/06/30 10:19

幼少期の頃の私は激しい人見知り・・・
とうわけではなく、
ただ脳が勝手に”興味がある人。””興味がない人。”で振り分けをしていたような感覚だった。
ろくに挨拶も出来ず、よく母に”ちゃんとご挨拶をしなさい。聞かれた事にお返事しなさい。笑いなさい。お母さん恥ずかしいわ。”等言われた。
”興味がない人”の前では親に促されても、笑わず、喋らず、子供らしく辺りでわちゃわちゃと遊ぶこともなく。
ただ親の側でじーっとしているだけだった。
今思えば親に叱られて当然だ。無表情でボーっとしている子なんて気味が悪い。
”興味がある人”でさえも、ただ幽霊みたいについて回ったり、隠れて見ていたり。
喜怒哀楽は必ず人は生まれ持ってくるのだろうか?
それとも、生まれてから蓄えていくものなのだろうか?
表には上手に表現はできなかったかもしれないが、私にはちゃんと喜怒哀楽はあった。
中でも私を支配し、感情的にし、私を突き動かす感情があった。

(嫉妬)

三姉妹の末っ子として生まれた私には美しい母と、母に似た2人の姉がいた。
9歳と6歳も離れた姉に私は嫉妬していた。
親戚中から”お姉ちゃんたちはお母さんに似て、”東京の顔だわ~華やかで、可愛くて都会っ子な顔をしている。”
”あなたはお父さんに似て、優しい顔ね”
この、”優しい顔”という言葉が子供ながら深く傷ついた。
恋愛でも良く褒める要素がない人の事を”優しそうな人”と人はいうように。
誰も悪気があって言ったのではない。
しかし私はこう言われる度に、姉に激しく嫉妬した。
特に6歳上の姉は母に、性格まで似ていて、私とよく遊んでくれたり、面倒を見てくれた。
髪の毛をお手入れしてくれたり、私の父に似た太い眉毛を奇麗にしてくれたり(ピンセットで抜くたびに涙をこらえて耐えた)。
お化粧もしてくれた。
でも、私は姉みたいな顔にはならなかった。
悔しかった、悲しかった。
10歳になる頃には、私は毎日自分で化粧をした。
ファウンデーションを塗りたくり、目の周りを黒で囲み、赤い口紅をした。
母には”もう少し優しいお化粧をしなさい”とは言われたが、特に怒られる事はなかった。
毎日化粧をして小学校へ通った。
日本の学校では怒られただろうが、アメリカでは化粧なんてなんともなかった。
私は音楽ではロックにハマり、日本の音楽界でもこの頃は”ビジュアル系”が熱く、
私はl‘Arc~en~cielやLuna Sea等を聴いていた。
化粧も服装もゴシックに変わった。
さすがに黒や紫の口紅をするようになった時は母や姉に止められたが、私は聞く耳をもたなかった。
自分を守ってくれる美しさを持って生まれて来なかったのなら、自分で自分の鎧を作らないといけない。
私は化粧をする事でまともに会話をすることができたし、喜怒哀楽も堂々と表現できるようになっていた。
化粧をする時以外は鏡を避け、ショーウィンドウや水たまりも避けるほど、私は本当の自分を直視できなかった。
化粧がうまく出来ない日は何度も自分の顔を叩き、つねり、殴る日もあった。
”あの子の化粧やば。””ピエロみたい。””サーカスはどこでやってるの?””気持ち悪いな”
外を歩く度に聞こえてくる言葉。でも、私は辞めれなかった。

あの日、ミカエルと出逢うまで。