2020/07/03 09:06

1999年夏

私たち3人は2台の車で空港へと出発した。
本当なら1台で良かったのだけど、母はパートが休めなかった為、
私たちは空港と母のパート先の間であった、ROSSというお店の駐車場で一度止まった。
ROSSは安くて、トレンディ―な衣類やファッション雑貨が揃う、
日本でいう”しまむら”のようなお店で、母は良く私たちを連れて買い物をした。

”空港まで送れなくてごめんね。気をつけていってらっしゃいね。”母は涙ぐみながら言った。

”うん。行ってきます。”私もつられて泣いた。やっぱり一人で2カ月も日本に行くのは心細かった。

”おばちゃんたちに宜しく伝えてね。おばちゃんとおじちゃんの言う事をちゃんと聞くのよ。学校も心配しないで、楽しんでおいでね。”
母と最後に長い長いハグをし、母が駐車場から見えなくなるまで手を振った。

”よし、行くぞ!”父の合図で私と父と空港へと向かった。

国際便は最低出発2時間前のチェックインが必要で、チェックインをした後、当時はお見送りに訪れた人も出発ゲートまで入る事が出来た。
なので、いつもその2時間は何か食べたり、ショッピングをして過ごした。
その日は父と二人で私が大好きなPanda Express(中華)を食べて、買い物をして過ごした。
父の性格はとても大らかで、寛大で、天然だった為、
飛行機に乗るまでの2時間、私はすごく不安で、緊張していたが、
父はいつものユーモアで私をほぐしてくれた。
飛行機へのゲートが開いて、私はパスポートとチケットと持って、父と担当のキャビンアテンダントの話を聞いて、
最後に父と長いハグをして、また泣きながら飛行機に乗り込んだ。

”楽しんで来いよ!神様にもたれていれば、なんの心配もない。”

父の口癖だった。
”神様にもたれなさい。なんの心配はいらない。”
やれることを一生懸命全部やりきったら、後は神に任せなさい。
私もこの言葉が大好きだった。
安心できた。

飛行機で席につき、私は日本へ出発した。

日本での初めの一ヵ月半は滋賀県の叔母のお家でお世話になり、
その後は奈良県の天理市へ、今年も海外ひのきしん隊として
こどもおぢば帰りへ参加する予定となっていた。

まず一ヵ月半。
一ヵ月半頑張れば、ご褒美が待っている。

ミカエルに逢えるのだ。