2020/07/06 09:32

1999年夏

日本行きの飛行機の中は快適に過ごした。
エコノミークラスの狭くて窮屈な席だったけど、担当してくれたキャビンアテンダントの白人の金髪、
青い目のおばさんはとっても優しかったし、手が空けば、”気分はどう?何か飲みたい?”色々と気にかけてくれた。
”一人で日本に行くなんてすごいわね!”等、褒めてくれたり、他愛もない話をしてくれた。
私は半分お姫様気分に浸りながら、大好きなスティーブンキング先生の小説を読んで殆どの時間を過ごした。
確かその時の本は、ペットセメタリ―だった。
死んだペットをとある場所へ埋めると、蘇ってくる。
それを知った主人公が死んだ息子をそこへ埋める。
しかし蘇ってくるモノは全部悪に満ちたモノ。
そんなストーリーだった。
私は読書が一番の親友だった。7歳ごろにスティーブンキングの作品に出逢って、虜になった。
9歳の時に一人で初めて日本へ行った時は、キャリーという作品を片手に飛行機に乗り、
周りの大人たちに”すごい本を読むね!”とどん引きされた。
キング先生の前はR.Lスタイン先生にハマっていた。
どちらもホラー小説家だった。
そしてつい最近家から歩いて5分の小さなショッピングエリアに、ホラー映画専門店がオープンしたばかりに、
私のホラーへの愛がピークだった。

私も小説家になりたい。

この頃の私の夢であった。

ペットセメタリ―に夢中になって仮眠もとらず、あっさり読み終わる頃にはもう日本に到着するとのアナウンスが流れた。
窓のスクリーンを開けると日本列島が見えた。
わあーと、嬉しくなった。そしてドキドキした。

色々と面倒な手続きは担当のスタッフが一緒にしてくれて、子供だったのでわりと早く到着ゲートまで行けた。
お迎えに来ていた人達がゲートの先に見えた。
わあー、皆日本人だ!と頭の中で感動していた。当たり前だ。
その中に見覚えのある顔が二つ。

”里恵!よう来たな!!”
大好きな叔母ちゃんの声。
”ほんまよう来たな!おかえり!”
大好きな叔父ちゃんの声。

ふわっと、安堵感におちた。
やっぱり私はずっと緊張していたのだろう。

”叔母ちゃん!叔父ちゃん!オセワニナリマス。ヨロシクオネガイシマス。”
親に言うようにと教えられた言葉を話した。
私はこの頃はまだ日本語が上手に話せなかった。
話かけられた日本語も半分も理解していなかったと思う。

”みーんな里恵をまってんで~、ほんまよう来てくれた!”
みんなって誰だろう?
日本の親戚とは数年に1回、限られた人しか逢えてなかったので、
殆ど知らなかった。
叔母ちゃんと叔父ちゃんは知っていても、その子供たち、私のいとこになる人たちは殆ど知らなかった。
この滋賀の叔母と叔父も、顔は知っていたし、好きだったが、実際に一緒に過ごすなんてこの時が初めてだった。
しかし叔母ちゃんの明るい、パワフルで優しくて、面白い車内でのトークで、
この夏休みはきっと特別になるんだと思えた。




2020年2月5日
大好きな叔母が永眠致しました。
最後のお別れの時の私の頭の中は、
1999年の夏休み、あなたのお家でお世話になり、
あなたの美味しいご飯を食べて、毎日朝から晩まで働く、
あなたの元気で明るい姿でした。
私が35年間で知った”女の鏡”とは、あなたの事だと思います。
あなたのような女性に、少しでも近ずけるように、
私、頑張るよ叔母ちゃん。