2020/07/10 09:16

1999年夏

”・・・ほんでこれが6番目のゆりこでな。で、これが一番下のあきとや。よろしゅうな!”
関西空港から叔母のお家までの道のりで、叔母と叔父は私が食べたいと言ったお寿司のお弁当を買ってくれた。
叔母のお家に到着し、
バタバタと荷物を運びいれ、神様に行ってきましたと、神殿でお参拝をして、
”お腹すいたやろ、まず食べような。”と叔母と叔父で居間のテーブルにつき、
”いっぱい食べや。これも食べや。あれも食べや。アメリカにはないもんばかりやろ?美味しいで!”
叔母はずっとニコニコしながら台所から色々と出してくれた。
日本に到着して私がいつも一番に行きたくて楽しみにしていたのが、日本のコンビニ。
清潔感と明るさに毎回びっくり。スナック菓子も飲み物も全部日本語。おにぎりもある。
かわいい雑誌や本もある。
アメリカでは家から車で40分くらい行った場所にある(宇和島屋)という日本食材や本が売っているお店が一件くらいしかなった。
コンビニだけで最高に楽しかった。

叔母に出されたものを少しずつ色々食べながら、叔母と叔父の話を聴いていると、
次々に人がやってきた。
二階から下りてくる人もいれば、一階の廊下から出てくる人もいれば、ただいまーっと玄関から入ってくる家族組もいた。
瞬く間に狭い居間から人が溢れて、
神殿に座る人、台所でたっている人、
玄関先で座っている人、廊下を走る子供たちでいっぱいになった。
私はただ目を丸くしてボーっとしていた。
一人一人名前を教えてくれて挨拶をしたがとても覚えれなかった。
”叔母ちゃんは、何人子供がいるの?”と聞くと、
自慢げに ”7人やで!”とニコニコで答えた叔母の顔がなんとも言えない、暖かい気持ちにしてくれた。
びっっくり。
叔母の一番下の息子のあきとは高校3年生。
これから1ヶ月半一緒のお部屋で過ごすいとこのゆりこは二十歳くらだった。
いとこと言っても、14歳の私からしたら皆もう大人だった。
皆、本当に優しかった。
”そしてこの子は、しゅんちゃん。”
叔母が奥の部屋からにやにやしている中年男性の肩をつかみながら連れてきた。
息子ではないとすぐに分かった。
”うちは教会やろ?教会はな、困っている人を助けなあかん。しゅんちゃんはな、もう何年もうちで一緒にくらしている大切な家族なんよ。
なかようしてあげてな!”
言葉が得意ではないのか、しゅんちゃんというおじさんはただ静かににやにやしているだけだった。
知的障害を持って生まれてきたしゅんちゃんは、
どうやら色々な事情があり、住む場所がなく、叔母と叔父がお世話をしていたようだ。
しゅんちゃんは、きっと叔母と叔父と出逢えて本当に幸せ者だな~とその時思った。

2020年2月
叔母のお葬儀の時、部屋の隅っこで白髪まじりのしゅんちゃんを見かけた。
しゅんちゃんはずっとずっと泣いていた。
しゅんちゃんは、本当に本当に幸せだったんだと、分かった。