2020/08/06 11:02

私の父という人①

とある兎年。
父は南信州で生まれた。
7男1女の8人兄弟の末っ子としてこの世に生を受けた。

教会で生まれた父は生まれつき神様と共に生きてきたように私には感じた。
神様の教えには”貧に落ちいれ”という言葉があった。
それは、人として、一番下まで落ちないと人様の痛みや苦しみを分かち合う事ができない、という意味だ。
常に高い所に居ては、苦労している人様の気持ちなんて分かるわけがない。
あげれるモノがあるのであれば、無くなるまで分けなさい。
それが、徳となって必ず帰ってくる。
自分に返って来なくても、自分の子供や孫、大切な人の徳となる。
教会は、一人一人が徳を積む場所である。
父は教会の役員であった両親からこのような教えを受けて育った。
元々質素な教会暮らしは、戦後間もないという事もあり、さらに苦労したと私は思っているのだが、
不思議な事に、父や父の兄弟からは愚痴など一度も聞いた事がなかった。
食べ物が足りなかった事。着る服が何代ものお下がりだった事。朝から晩まで、暑い日も寒い日も働いた事。
父が子供の頃の話をする時はいつも笑顔だった。
楽しそうに過酷な生活の話をしてくれた。
叔父も叔母も、皆がそうだった。
”貧しい環境の中でも、神様を信じていれば心までは貧しくならない。”
父は笑顔で、確信した目で私にいつも諭した。

そんな父は両親から生まれつき使命を与えられていた。
”お前はアメリカへ、布教へ行きなさい。”
その為に父だけが天理高校まで行かせてもらえたのだいう。
高校卒業後、更に布教の為の勉強をし、最後に原宿にある教会へ住み込みをしながら、
英会話学校へ通った。
その学校の近所の文房具屋でバイトをしていた母と出逢った。
19歳の母と、22歳の父は、
当時では許されるのが現代よりも難しかったであろう、
いわゆる”できちゃった結婚””授かり婚”をした。

無宗教だった母は、家族の反対を押し切ってまで父について行った。
そして南信州の父の実家で長女を出産し、
3人でアメリカへと渡った。