2020/09/04 14:57

人の精神力は無限に、計りきれない程の力がある。

よく聞く話の一つには、
車の下敷きになってしまった我が子を助けようと、
親が車を持ち上げた。
泳げなくて、トレーニングも勿論した事のない親が、
溺れている我が子を助ける為に10分間息継ぎもせずに
海の中を泳いだ。
等、人の精神の力は人の想像を超える力があり、
それが体内を変化させる。
こんなにも、すごい力が人間の精神にあるというのに、

時に、人の精神力は音も立てず、
あっさりと、簡単に壊れてしまう。

母の場合は、
アメリカに渡り、次女を産んですぐの事だった。

"お母さんは、あの時、ノイローゼになってな”
そう父から聞いたのは私の精神疾患が発覚した時だった。
”でも、お母さんは良くなった。だから、お前も必ず良くなるから。
心配しなくていい。”

母は、ノイローゼを経験したのか?
まだ私が生まれていない頃の話・
当然私は何も知らない。
知る必要もない。知りたくもなかった。

でも、気にはなっていたことがあった。
どうして長女の姉は母に寄りつかないのか。
どうして母は長女の話になると愚痴しかこぼさないのか。
どうして二人はこんなにも不仲なのか?

9歳年が離れた姉との思い出は殆どなかった。
彼女は私が4歳くらいの頃から家出を繰り返すようになっていったという。
そのせいか、
姉と一緒に育ったという感覚が私にはない。
記憶に残る出来事が起きたのは、
私が6歳の頃だった。

姉は15歳。

その日は久しぶりに姉が家に帰ってきた。
そして珍しく私にキャンディーをくれたのだ。
私は嬉しくて、母に見せたが、母は笑わなかった。
そしていつもなら、”そんなすごい色したキャンディーなんて食べたら駄目。お腹いたくなっちゃうわよ。”
などと言って私から取り上げるのだが、この日の母は違った。
”後ろのお庭で食べなさい。”

アメリカの家には大体、フロントヤードとバックヤードがある。
父は教会長の傍ら、アメリカへ渡ってから必死に勉強をして、
日本庭園の庭師、設計士になった。
なのでお家の庭は前も後ろもとっても美しかった。
バックヤードには父お手製の池があり、
その頃は沢山の錦鯉を飼っていた。
その他にも、父は動物が大好きで、
犬や猫も飼っていた。
だから私はるんるんでバックヤードで遊びながら、姉がくれたキャンディーを食べていた。

しばらくしてから、私の喉はカラカラで、飲み物を取りに家に入った。

聞こえて来たのは泣きじゃくる姉の声と、
正気を失ったかのような母の叫び声と、
低く、優しく地鳴りのように響く父の声。

私は固まってしまった。
心臓がバクバクする。

何が起っているのか?

私の場所からは皆が見えない、皆からも私は見えない。
私は耳をすませた。

”だから言ったのよ!絶対この子はこうなるって!私は言ったの!でもあなたは何もしなかった!ちゃんと叱れば良かったのに!あなたはいつも神様、神様で!結局こんな事になったじゃない!!”
母は、父を責めていた。
”悪かった。でも今はそういう話じゃない。あきえの気持ちをちゃんと聞こう。ちゃんと話し合おう。”父の低く、落ち着いた声がした。
”無理よ!絶対に無理よ!”母は泣いていた。

ただ事ではない。
6歳の私は体中の全神経がざわざわしているのが分かった。
心臓のバクバクが止まらない。
吐き気がしてきた。

母が二階へ駆け上がっていく音がした。
しばらくの沈黙の後、
父が優しく、はっきりとした口調で姉に話しかけた。


”何も心配しなくていい。
今は神様にお願いしよう。
お前と、お腹の子の為に。
どうしたら一番いいのか。
神様にお願いしよう。”